序章(抜粋)
一、宗教哲学の救済論とは何か
本書は後期田辺哲学の研究を通じて、その宗教哲学的な救済論を探求するものであり、また異文化間の視点で田辺哲学と台湾との連関を模索しようと試みるものである。宗教哲学の救済論を探求するというのは、もちろん田辺元(1885-1962)における宗教哲学の救済論の具体的な内容や構造を分析して明らかにすることである。しかし、本書の最終の目的は、そうした分析論的な成果を出すというより、むしろ田辺の宗教哲学の成立する可能性、換言すれば田辺の宗教哲学的な救済論の実践可能性を問うことにある。この場合、異文化間の視点を入れることによって、その特徴と問題点をより一層浮彫にすることができる。田辺の宗教哲学的な救済論の実践可能性を問う(次節に譲る)前に、まずその宗教哲学の救済論は、一般にいう宗教の救済論と哲学の救済論とは異なることを簡単に説明してみたい。
田辺の宗教哲学の救済論は、とかく大乗仏教(特に浄土真宗)の救済論や禅仏教の解脱論、或いはキリスト教の救済論を思わせがちである。たとえば、大乗仏教とキリスト教において説かれている他力救済や他者本位の救済は、田辺の宗教哲学の救済論と何ら変りはないのではないか、禅仏教でいう自力で相対なる一切を断ち切ることによって到達する自在無碍ないし解脱の境地も、また田辺の宗教哲学の救済論に近いものではないか、などといった考え方は、それである。しかし、それらの考え方はあくまで宗教の救済論に止まっているだけである。田辺の宗教哲学の救済論と一般にいう宗教の救済論とは、宗教が哲学との対立的な統一の関係を持っているか否かによって、違ってくるのである。つまり、宗教に哲学の否定媒介の働きが欠けているのは、宗教の救済論の、宗教哲学の救済論との決定的な相違である。もしそこに救済があったとしても、それは単なる神秘体験にすぎない。
一方、理性主義の立場によって世界を説明してあらゆる問題を解決し、救済を求めようとする哲学の救済論は、宗教の救済論とは反対に、哲学に宗教の否定媒介の働きが真に作用していない(次節と次章で論ずる)ため、田辺の宗教哲学の救済論とは一線を画している。つまり、理性主義の立場に基づく哲学の救済論は、その哲学が宗教との対立的な統一の関係を持っていないことによって、決定的に宗教哲学の救済論とは違うのである。もしそこに救済があるとすれば、それは単に理性が要請したものにすぎない。
以上に基づけばわかるように、田辺の宗教哲学の救済論には、宗教と哲学との対立しつつ媒介し合うという絶対否定媒介の関係が潜んでいる。そこで、その救済論の実践もまた、上述した宗教と哲学との緊張関係によらなければ不可能となる。本書はまさにそうした後期田辺哲学における宗教と哲学との関係を追跡しつつ、その宗教哲学という概念の成立する可能性ないし実践可能性を問うものである。そして、田辺の宗教哲学を探究するにあたって、まず彼の「種の論理」① の構造と、それにおける宗教と哲学との関係を論述する必要がある。なぜなら、「種の論理」が自らに論理的な矛盾を来たしたのは、田辺によれば、自分自身が敗戦前後に告白した懺悔という絶対他力の宗教的な体験(第二章で論ずる)が欠落しているからである。約言すれば、哲学自身の成立する可能性とその実践性には、必然的に絶対なる宗教の否定媒介が働かなければならないにもかかわらず、自力哲学としての「種の論理」は、真に宗教との対立的な統一の関係を持っていないため、自らの成立する可能性(存立性)と社会的実践性(救済論の実践可能性)を断絶するに至ったのである。
田辺は「種の論理」を構築する段階において、哲学の成立し存続する可能性を探求すると同時に、それの現実世界における実践の問題、或いは人間存在の救済をも考慮していた。それに、彼は単に哲学の立場から救済を論ずるのみならず、また他力宗教の救済論をも援用していた(次節で論ずる)。しかし、「種の論理」は論理の存続と人間存在の救済を内実にしたとしても、それを構築し実践する田辺自身が絶対者の慈愛(絶対他力)による自己否定即肯定の宗教的体験が欠落しているため、あくまで自力哲学に止まっているだけである。もし、「種の論理」に救済論があるとすれば、それはあくまで自力哲学の救済論にすぎない。それに対して、自己懺悔即救済の宗教的体験に基づく後期田辺哲学② の救済論は、単なる宗教による救済論でもなければ、哲学による救済論でもなく、宗教哲学による救済論でなければならないのである。
次節では、そうした自力哲学としての「種の論理」から他力哲学としての後期田辺哲学(たとえば懺悔道哲学、キリスト教の弁証、「死の哲学」)への転換、すなわち哲学から宗教哲学への転換を、後期田辺哲学研究の予備的な考察として簡潔に論述し(第一章と第二章では詳述する)、田辺の宗教哲学的な救済論の実践可能性を問いたい。
二、宗教哲学的な救済論の実践可能性
田辺は「儒教的存在論に就いて」(1928)において、西洋思想の根底であるギリシャ哲学とキリスト教との存在論を、それぞれ芸術的存在論と宗教的存在論と定義し、中国思想の根本である儒教の存在論を道徳的存在論と規定した。その六年後に、論文「社会存在の論理―哲学的社会学試論―」(1934-1935)を執筆し、独自の社会的存在論を披瀝した。
田辺は当時の民族主義や国家主義ないし個人主義が蔓延する世界状況の影響下に置かれて、類、種、個という生物の分類を借用して、我々人間存在を社会的存在、つまり種的存在と定義し、それを提示する哲学を「種の論理」と称した。そして、種は個と類という両端の中間に位置する「相対的無内容の中間的存在」(T6・59)ではなく、個と類とに何らの積極的な媒介力をもたなければならないと述べながら、論理は単なる解釈的な論理ではなく、推論的な論理でなければならないとし、終始その推論の依拠する所の媒介性とは離れることができないと主張した。したがって、「種の論理」は絶対媒介の論理に他ならないとされる。田辺は、絶対媒介について次のように述べている。
絶対媒介とは、一を立するに他を媒介とせざることなきを謂う。然るに一と他とは互に否定し合うものであるから、絶対媒介は、如何なる肯定も否定を媒介とすることなくして行われざるを意味する。所謂否定即肯定として、肯定は必ず否定を媒介とする肯定なることが絶対媒介の要求である。従ってそれは凡ての直接態を排する。所謂絶対といえども、之を否定する相対を媒介とすることなくして直接に立せられることは許されない。斯かる絶対媒介としての論理に於ては、媒介者たる種は否定を容れるものでなければならぬ。(T6・59)
それに対して、分析論理でいう種は、「種の論理」でいう絶対媒介性をもっていない。なぜなら、それは単に類と個との「中間者たる形式に由って観念上媒介の任務を果たすに止まる」(T6・59-60)からである。つまり、分析論理の種は、「全く自己固有の内容無き相対的中間者たる形式を有するに過ぎない」(T6・60)のである。むろん、田辺が存在の論理を「種の論理」としているのは、対他的に日本の存在論を主張するためではない。その我々人間の存在と行動を哲学的に構築しようとする動機は、むしろ田辺自身の哲学的使命に由来している。
上述のように、類と個とに対して自立性、つまり自己の本来の存在性(有性)を持っている種は、自らの絶対媒介性の故に、自己を保持するために単に直接なる自己肯定を堅持することができない。類と個の媒介者として、必然的に自己否定によって自己を肯定することに至る。「種の論理」はこの意味で、不断なる自己否定即肯定の転換によって、自らの論理の自立性を保つ他はない。田辺はこうして、存在の論理を「種の論理」とし、自己否定即肯定の転換による自己保持を主張するに至っている。「種の論理」は、田辺が哲学を存続させるために構築した絶対媒介、或いは絶対否定の論理に他ならない。「種の論理」を絶対媒介の論理として哲学的に構築することは明らかに、哲学を哲学的に存続させるという田辺の哲学的使命である。