The Soteriology of religious philosophy: A study of Tanabe Hajime's Late Philosophy

Chin-ping Liao

  • PublishedNovember, 2018
  • Binding精裝 / 21*15 / 332pages / 單色(黑) / 日文
  • Publisher國立臺灣大學出版中心
  • SeriesJapanese Studies Series 31
  • ISBN978-986-350-314-9
  • GPN1010701606
  • Price NT$760
  • Paper Books San Min Books / wunan / books.com.tw / National Books / iRead / eslite / TAAZE /

本書主要以宗教哲學的觀點,來探討京都學派哲學家田邊元的中、後期思想。作者以異於舊有的觀點,來研究田邊宗教哲學的發展,並試圖突顯出異於西方宗教哲學類型的近代日本宗教哲學。本書在探討被稱為田邊哲學的「種的邏輯」體系中的哲學與宗教,即合理性與非合理性的對立統一結構(絕對媒介的辯證法結構)後,檢視「種的邏輯」的崩壞過程,接著究明戰後被重新建構的、從懺悔道哲學、基督教的辯證到「死的哲學」這一代表後期田邊哲學面貌的宗教哲學構造,並對該哲學在現實世界的實踐可能性提出質疑。在此論證過程中,作者闡明了日本中世宗教家道元與親鸞的宗教思想,經由田邊的現代哲學解釋,具有絕對媒介辯證法的結構,形成近代日本的宗教哲學面貌。作者最後以台灣這一異文化觀點,論究了台灣日治時期哲學家洪耀勳有關「實存」概念的哲學思考,並從跨文化的視野和田邊哲學進行了比較。

本書は京都学派の哲学者・田辺元の中、後期思想を、宗教哲学の観点から探究したものである。作者は、従来とは異なる視点で、田辺の宗教哲学の展開を論究し、西洋における宗教哲学の類型に異色を示す近代日本の宗教哲学を浮き彫りにしようとした。本書は、田辺哲学と称される「種の論理」体系にある哲学と宗教との、すなわち合理的なものと非合理的なものとの対立的統一の構造を示す絶対媒介の弁証法を検証し、その論理的な破綻の過程を追いつつ、戦後新たに構築された懺悔道哲学から、キリスト教の弁証へ、そして「死の哲学」に至るまでの、後期田辺哲学の真骨頂を表す宗教哲学の構造を究明し、その現実世界における実践可能性を問うた。その中で、中世日本の宗教家・道元と親鸞の宗教思想を近代哲学の立場から解釈し、絶対媒介の弁証法を内実とする近代日本の宗教哲学の構築に成功した田辺哲学の真髄を解明した。最後に台湾という異文化の観点から、台湾植民地時代の哲学者・洪耀勲の「実存」概念をめぐる哲学的思索を論究しつつ、間文化的視点から田辺哲学との比較を試みた。

廖欽彬(リョウ キンヒン)

1975年出生於台灣雲林。日本筑波大學人文社會科學研究科哲學博士(思想專攻),曾任台灣國立中山大學哲學研究所助理教授,中央研究院中國文哲研究所博士後研究員,現為廣州中山大學哲學系副教授。近年主要論文:〈東亞脈絡下的實存哲學發展:日本哲學與洪耀勳之間〉(蔡振豐・林永強・張政遠編《東亞傳統與現代哲學中的自我與個人》,台灣大學出版中心,2015年);〈兩個世界史的哲學論述―京都學派與柄谷行人―〉(《現代哲學》2016年第3期)、〈井筒俊彦的意識哲學―以《意識與本質》為中心―〉(《世界哲學》2016年第3期)。另發表多篇和日本近代哲學有關的論文。

1975年台湾生まれ。筑波大学人文社会科学研究科哲学・思想専攻博士課程修了(文学博士)。台湾国立中山大学哲学研究所助理教授、中央研究院中国文哲研究所博士後研究を経て、現在、広州中山大学哲学系准教授。主な著作に「東アジアにおける実存哲学の展開―日本哲学と洪耀勳の間―」(『台湾東亜文明研究学刊』、第12巻第1期、2015年)、「井筒俊彦の意識哲学―『意識と本質』を中心に―」(『世界哲学』、2016年第4期)、「近現代日本における方法としての『論語』研究への探究―武内義雄、和辻哲郎、白川静―」(『孔子研究』、2017年第6期)、「ハイデッガー哲学の東アジアにおける受容と転化―田辺元と洪耀勲を中心に―」(『台湾東亜文明研究学刊』、第15巻第1期、2018年)。ほかに日本近代哲学についての論文多数。

序章
  一、宗教哲学の救済論とは何か
  二、宗教哲学的な救済論の実践可能性
第一章 「種の論理」とその挫折
  一、はじめに
  二、「基体即主体、主体即基体」
  三、哲学と宗教
  四、宗教と歴史
  五、国家的存在と歴史
  六、結論
第二章 後期田辺哲学の起点
  一、はじめに
  二、懺悔
  三、懺悔と救済と罪悪
  四、絶対批判の論理
  五、三願転入
  六、結論
第三章 歴史哲学の展開
  一、はじめに
  二、行信証と往還二相廻向
  三、念仏禅
  四、三願転入と時間五、三心釈と時間
  六、結論
第四章 絶対弁証法のキリスト教的展開
  一、はじめに
  二、預言者
  三、悔い改め
  四、福音信仰
  五、救主信仰
  六、結論
第五章 日本仏教とキリスト教との邂逅―絶対宗教をめざして―
  一、はじめに
  二、愛と行信証の三一性
  三、イエスかパウロか
  四、絶対宗教
  五、結論
第六章 死の哲学
  一、はじめに
  二、生か死か
  三、死への存在
  四、死につつ生きる存在
  五、結論
第七章 東アジアにおける実存哲学の展開―田辺哲学と洪耀勳の間―
  一、はじめに
  二、田辺哲学の実存概念をめぐって―知から行へ
  三、実存哲学の限界と転回
  四、敗戦後の実存概念の行方
  五、台湾における「実存」概念の展開
  六、結論
結章
  一、後期田辺哲学の展開
  二、宗教哲学としての田辺哲学の展望

参考文献
後記
人名索引
事項索引

『日本学研究叢書』刊行に際して
 
曹景恵(『日本学研究叢書』編集委員長)
 
この『日本学研究叢書』は、台湾における唯一の日本語による学術研究叢書である。本叢書は、台湾大学人文社会高等研究院に「日本・韓国研究平台(プラットホーム)」が開設されたのを機に2012年に発刊されたが、その後、企画編集の責任を、2013年11月発足の台湾大学日本研究センターが担うことで、継続してきている。これまで既に30冊を刊行した。
 
戦後、台湾大学が旧台北帝国大学から受け継いだ日本研究に関する文献は、膨大でありまた貴重なものである。そうした遺産のもと、台湾における日本研究は長い歴史と伝統をもっている。しかしながら、東アジアの全体を見渡すとき、日本、中国、韓国などの国々の日本研究は、それぞれに特色のある内容を展開しているなか、台湾における日本研究は、その長い歴史と一定の実績の割には、現代の諸課題を視野に入れた社会科学分野と切り結んだ研究と対話は十分ではない。また、世界に発信して発表する場が限られている。本叢書は、グローバル化が進むこの21世紀に、日本研究における台湾のもつ大きな潜在力を自覚し、その喚起を目指して、以下の四つの目標の遂行に努めている。
 
(1) 人文学だけではなく、社会科学分野における台湾の日本学研究を強化し、両者の対話と融合をめざすこと。
 
(2) 台湾における「日本研究」の新たな学習環境を積極的に切り拓き、学際的にして国際的な方向に視野を広げていく若手研究者の養成を期すこと。
 
(3) 日台両国の関連研究機関および東アジアの諸研究機関との連携を促進し、日本研究を国際的に展開する「国際日本学」の構築を目指すこと。
 
(4) 世界における日本研究の成果を生かした「国際日本学」のもと、台湾固有の文脈を意識した台湾的特色のある国際的日本研究の発展を推進すること。
 
本書は、京都学派を代表する思想家田辺元の宗教哲学に着目し、その救済論の具体的内容や構造を綿密に分析して明らかにするものである。とくに、異文化の視点から、田辺の宗教哲学が成立する可能性、言い換えれば、その救済論の実践可能性を検討することに重点を置いている。第七章は田辺哲学の台湾との連関を中心に、台湾植民時代の哲学者洪耀勳を取り上げ、東アジアにおける実存哲学の展開とその現代的意義を考え、新たな見解を提示している。
 
序章(抜粋)
 
一、宗教哲学の救済論とは何か
 
本書は後期田辺哲学の研究を通じて、その宗教哲学的な救済論を探求するものであり、また異文化間の視点で田辺哲学と台湾との連関を模索しようと試みるものである。宗教哲学の救済論を探求するというのは、もちろん田辺元(1885-1962)における宗教哲学の救済論の具体的な内容や構造を分析して明らかにすることである。しかし、本書の最終の目的は、そうした分析論的な成果を出すというより、むしろ田辺の宗教哲学の成立する可能性、換言すれば田辺の宗教哲学的な救済論の実践可能性を問うことにある。この場合、異文化間の視点を入れることによって、その特徴と問題点をより一層浮彫にすることができる。田辺の宗教哲学的な救済論の実践可能性を問う(次節に譲る)前に、まずその宗教哲学の救済論は、一般にいう宗教の救済論と哲学の救済論とは異なることを簡単に説明してみたい。
 
田辺の宗教哲学の救済論は、とかく大乗仏教(特に浄土真宗)の救済論や禅仏教の解脱論、或いはキリスト教の救済論を思わせがちである。たとえば、大乗仏教とキリスト教において説かれている他力救済や他者本位の救済は、田辺の宗教哲学の救済論と何ら変りはないのではないか、禅仏教でいう自力で相対なる一切を断ち切ることによって到達する自在無碍ないし解脱の境地も、また田辺の宗教哲学の救済論に近いものではないか、などといった考え方は、それである。しかし、それらの考え方はあくまで宗教の救済論に止まっているだけである。田辺の宗教哲学の救済論と一般にいう宗教の救済論とは、宗教が哲学との対立的な統一の関係を持っているか否かによって、違ってくるのである。つまり、宗教に哲学の否定媒介の働きが欠けているのは、宗教の救済論の、宗教哲学の救済論との決定的な相違である。もしそこに救済があったとしても、それは単なる神秘体験にすぎない。
 
一方、理性主義の立場によって世界を説明してあらゆる問題を解決し、救済を求めようとする哲学の救済論は、宗教の救済論とは反対に、哲学に宗教の否定媒介の働きが真に作用していない(次節と次章で論ずる)ため、田辺の宗教哲学の救済論とは一線を画している。つまり、理性主義の立場に基づく哲学の救済論は、その哲学が宗教との対立的な統一の関係を持っていないことによって、決定的に宗教哲学の救済論とは違うのである。もしそこに救済があるとすれば、それは単に理性が要請したものにすぎない。
 
以上に基づけばわかるように、田辺の宗教哲学の救済論には、宗教と哲学との対立しつつ媒介し合うという絶対否定媒介の関係が潜んでいる。そこで、その救済論の実践もまた、上述した宗教と哲学との緊張関係によらなければ不可能となる。本書はまさにそうした後期田辺哲学における宗教と哲学との関係を追跡しつつ、その宗教哲学という概念の成立する可能性ないし実践可能性を問うものである。そして、田辺の宗教哲学を探究するにあたって、まず彼の「種の論理」① の構造と、それにおける宗教と哲学との関係を論述する必要がある。なぜなら、「種の論理」が自らに論理的な矛盾を来たしたのは、田辺によれば、自分自身が敗戦前後に告白した懺悔という絶対他力の宗教的な体験(第二章で論ずる)が欠落しているからである。約言すれば、哲学自身の成立する可能性とその実践性には、必然的に絶対なる宗教の否定媒介が働かなければならないにもかかわらず、自力哲学としての「種の論理」は、真に宗教との対立的な統一の関係を持っていないため、自らの成立する可能性(存立性)と社会的実践性(救済論の実践可能性)を断絶するに至ったのである。
 
田辺は「種の論理」を構築する段階において、哲学の成立し存続する可能性を探求すると同時に、それの現実世界における実践の問題、或いは人間存在の救済をも考慮していた。それに、彼は単に哲学の立場から救済を論ずるのみならず、また他力宗教の救済論をも援用していた(次節で論ずる)。しかし、「種の論理」は論理の存続と人間存在の救済を内実にしたとしても、それを構築し実践する田辺自身が絶対者の慈愛(絶対他力)による自己否定即肯定の宗教的体験が欠落しているため、あくまで自力哲学に止まっているだけである。もし、「種の論理」に救済論があるとすれば、それはあくまで自力哲学の救済論にすぎない。それに対して、自己懺悔即救済の宗教的体験に基づく後期田辺哲学② の救済論は、単なる宗教による救済論でもなければ、哲学による救済論でもなく、宗教哲学による救済論でなければならないのである。
 
次節では、そうした自力哲学としての「種の論理」から他力哲学としての後期田辺哲学(たとえば懺悔道哲学、キリスト教の弁証、「死の哲学」)への転換、すなわち哲学から宗教哲学への転換を、後期田辺哲学研究の予備的な考察として簡潔に論述し(第一章と第二章では詳述する)、田辺の宗教哲学的な救済論の実践可能性を問いたい。
 
二、宗教哲学的な救済論の実践可能性
 
田辺は「儒教的存在論に就いて」(1928)において、西洋思想の根底であるギリシャ哲学とキリスト教との存在論を、それぞれ芸術的存在論と宗教的存在論と定義し、中国思想の根本である儒教の存在論を道徳的存在論と規定した。その六年後に、論文「社会存在の論理―哲学的社会学試論―」(1934-1935)を執筆し、独自の社会的存在論を披瀝した。
 
田辺は当時の民族主義や国家主義ないし個人主義が蔓延する世界状況の影響下に置かれて、類、種、個という生物の分類を借用して、我々人間存在を社会的存在、つまり種的存在と定義し、それを提示する哲学を「種の論理」と称した。そして、種は個と類という両端の中間に位置する「相対的無内容の中間的存在」(T6・59)ではなく、個と類とに何らの積極的な媒介力をもたなければならないと述べながら、論理は単なる解釈的な論理ではなく、推論的な論理でなければならないとし、終始その推論の依拠する所の媒介性とは離れることができないと主張した。したがって、「種の論理」は絶対媒介の論理に他ならないとされる。田辺は、絶対媒介について次のように述べている。
 
絶対媒介とは、一を立するに他を媒介とせざることなきを謂う。然るに一と他とは互に否定し合うものであるから、絶対媒介は、如何なる肯定も否定を媒介とすることなくして行われざるを意味する。所謂否定即肯定として、肯定は必ず否定を媒介とする肯定なることが絶対媒介の要求である。従ってそれは凡ての直接態を排する。所謂絶対といえども、之を否定する相対を媒介とすることなくして直接に立せられることは許されない。斯かる絶対媒介としての論理に於ては、媒介者たる種は否定を容れるものでなければならぬ。(T6・59)
 
それに対して、分析論理でいう種は、「種の論理」でいう絶対媒介性をもっていない。なぜなら、それは単に類と個との「中間者たる形式に由って観念上媒介の任務を果たすに止まる」(T6・59-60)からである。つまり、分析論理の種は、「全く自己固有の内容無き相対的中間者たる形式を有するに過ぎない」(T6・60)のである。むろん、田辺が存在の論理を「種の論理」としているのは、対他的に日本の存在論を主張するためではない。その我々人間の存在と行動を哲学的に構築しようとする動機は、むしろ田辺自身の哲学的使命に由来している。
 
上述のように、類と個とに対して自立性、つまり自己の本来の存在性(有性)を持っている種は、自らの絶対媒介性の故に、自己を保持するために単に直接なる自己肯定を堅持することができない。類と個の媒介者として、必然的に自己否定によって自己を肯定することに至る。「種の論理」はこの意味で、不断なる自己否定即肯定の転換によって、自らの論理の自立性を保つ他はない。田辺はこうして、存在の論理を「種の論理」とし、自己否定即肯定の転換による自己保持を主張するに至っている。「種の論理」は、田辺が哲学を存続させるために構築した絶対媒介、或いは絶対否定の論理に他ならない。「種の論理」を絶対媒介の論理として哲学的に構築することは明らかに、哲学を哲学的に存続させるという田辺の哲学的使命である。