序文(抜粋)
彭春陽、仁平道明
はじめに
日本近代文学を代表する作家の一人である芥川龍之介の作品は、現在、世界各国で翻訳されて多くの人々に読まれ、世界文学として位置づけられるものになっている。芥川龍之介に関する研究も、日本・台湾をはじめとするアジアの諸国だけではなく、欧米等においてもさかんに行われ、芥川龍之介研究の世界的な学会である国際芥川龍之介学会が、これまで、2006年に第1回大会が韓国の延世大学校(ソウル市)と仁川大学(仁川市)で開催され、その後、下記のように、中国・台湾・イタリア・アメリカ・ドイツ・スロベニア・日本、ロシア等、世界各国で開催されている。
このように国際学術研討会・研究・翻訳が世界各国で行われるなど、芥川龍之介研究が国際化している中で、台湾は、これまでに芥川龍之介に関する多くの研究成果を発信し、芥川龍之介を中心とする日本近代文学研究の推進に多大の貢献をしてきた。そしてその成果は台湾の大学や学会等から刊行される学術雑誌等に掲載され、台湾国内だけではなく国外にも公表された芥川研究の論文・研究書等はかなりの数にのぼっている。また台湾国内の大学・学会が主催する国際学術研討会・シンポジウムにおいても、多くの芥川龍之介に関する講演・研究発表が行われてきている。しかしながら、国際的な規模での芥川龍之介研究の成果を一書に編んで刊行し、台湾を発信地として世界に示す機会は、これまであまりなかったのではないか。
今回、国立台湾大学出版中心から日本学研究叢書の一冊としてこの『芥川龍之介研究――台湾から世界へ』を刊行するのは、その書名が示しているように、前述した欠を補うことを目的の一つとしているからである。芥川龍之介に関する新しい研究の成果を収録した研究論文集を台湾で編集・刊行し、その成果を台湾から世界に向けて発信することは、台湾の文学・文化研究、文学研究のアジアにおける求心力を世界に示す、意義のある事業であると考える。
その企画にあたって、執筆者には、国際的に高く評価されている、台湾及び台湾と関係の深い方々を中心に、すぐれた成果を示しうる研究者を選定した。そのような執筆者による、台湾で刊行される本書が、これまでの研究に欠けていた視点や問題意識、従来の研究が不十分で通説が誤っていた問題、今後芥川龍之介研究の指針となるような視点・指摘の提示のような新しい視野をひらく研究成果が世界に発信されることによって、芥川龍之介研究の基本文献として高く評価され、各国の研究者を永く裨益するものになることを期待している。そのために、本書では、芥川龍之介研究にとっての〝共通語〟としての日本語で執筆することにした。それは、芥川龍之介の作品の引用にあたってその表現をもっとも正確に伝えることを可能にする方法を採用したというだけではなく、芥川龍之介およびその作品の研究の成果を国際的にもっとも多くの研究者が広く受容できるかたちで発信することを意図したからである。
なお、芥川龍之介とその作品は、日本においてもまた日本以外の各国においても、日本近代文学研究の対象としてさかんにとりあげられ、検討の対象つなってきたものの一つであり、現在世界各国で広く読まれ、論じられるようになった村上春樹のような作家が登場した現在でも、その全体を把握することさえ困難なほど、世界各国で多くの成果が発表されている。だが、それによってもなお芥川龍之介とその作品について十分な考究がなされているとは言いがたい。新しく芥川龍之介の研究に取り組もうとする人々を、もはや画期的な新しい視点、成果の提示がどれほど可能なのかと困惑させるほどの膨大な研究成果の蓄積によってもまだ埋められていない、多くの穴が残っている。
例えば、芥川龍之介の代表的な作品として知られ、もっとも多くの研究成果が積み重ねられている作品の一つであり、日本の文部科学省検定の高等学校国語の教科書の全てに教材として採用されていた「羅生門」でさえも、例外ではない。知られるように、「羅生門」は、大正4年(1915年)11月発行の『帝国文学』「第貳拾壹巻第拾壹」(表紙。目次は「第二十二巻第十一(第二百五十二号)」)に「柳川龍之介(目次は柳川龍之助)」の筆名で発表され、大正6年(1917年)5月に阿蘭陀書房から刊行された第一作品集『羅生門』、大正7年(1918年)7月に春陽堂から刊行された『〈新興文芸叢書第八編〉鼻』等に収められた、「作家芥川龍之介を代表する小説の一つ」(関口安義「羅生門」〈関口安義・庄司達也編『芥川龍之介全作品事典』平成12年6月/勉誠出版〉)である。その「羅生門」については、さまざまな角度、視点からの研究が行われ、もはや加えるべき画期的な新しい成果がそれほど残されてはいないのではないかと思われる状況にあるのだが、実はその本文のような基礎的なポイントについても、これまでほとんど問題にされてこなかった、まだ検討が必要な部分がないわけではない。
「羅生門」の本文は、周知のように、『帝国文学』の初出から、第一作品集『羅生門』所収の本文へ改変され、さらに『〈新興文芸叢書第八編〉鼻』に収められる際にさらに大きく改変された。その中で末尾の部分が改変された意義については、従来、「羅生門」論の多くがふれ、論じられてきたが、その他の点でも検討を要することが残されている。「羅生門」の本文は、そのたびたびの手入れ、改変によっても、必ずしも作者の意図が明確に読み取れるようなかたちになってはいず、また全体が整合性のある完全なかたちになってはいない。かえって、手入れによって改変され、全集等のテキストに用いられている最終的な本文に不整合が生じている場合もないではない。
たとえば、末尾近く、下人に、羅生門上で「何をしてゐた」か言うように迫られて答えた老婆の言葉を語る部分などは、改変によって、かえって下掲のような混乱したかたちになっているのだが、その不整合は問題にされることなく、諸テキストでも注が付されることもない。
◇『帝国文学』(大正4年11月)所収本文
老婆は、片手に、まだ死骸の頭から奪つた長い抜け毛を持つたなり、蟇のつぶやくやうな声で、口どもりながら、こんな事を云つた。
成程、死人の髪の毛を抜くと云ふ事は、悪い事かも知れぬ。しかし、こういう死人の多くは、皆その位な事を、されてもいゝ人間ばかりである。現に、自分が今、髪を抜いた女などは、蛇を四寸ばかりづゝに切つて干したのを、干魚だと云つて、太刀帯の陣へ売りに行つた。疫病にかゝつて死ななかつたなら、今でも売りに行つてゐたかもしれない。しかも、この女の売る干魚は、味がよいと云ふので、太刀帯たちが、欠かさず菜料に買つてゐたのである。自分は、この女のした事が悪いとは思はない。しなければ、饑死をするので、仕方がなくした事だからである。だから、又今、自分のしてゐた事も、悪い事とは思はない。これもやはりしなければ、饑死をするので、仕方がなくする事だからである。さうして、その仕方がない事をよく知つてゐたこの女は、自分のする事を許してくれるのにちがひないと思ふからである。――老婆は、大体こんな意味の事を云つた。
◇第一作品集『羅生門』(大正6年5月)所収本文
老婆は、片手に、まだ死骸の頭から奪つた長い抜け毛を持つたなり、蟇のつぶやくやうな声で、口ごもりながら、こんな事を云つた。
成程、死人の髪の毛を抜くと云ふ事は、悪い事かも知れぬ。しかし、かう云ふ死人の多くは、皆 その位な事を、されてもいゝ人間ばかりである。現に、自分が今、髪を抜いた女などは、蛇を四寸ばかりづゝに切つて干したのを、干魚だと云つて、太刀帯の陣へ売りに行つた。疫病にかゝつて死ななかつたなら、今でも売りに行つてゐたかもしれない。しかも、この女の売る干魚は、味がよいと云ふので、太刀帯たちが、欠かさず菜料に買つてゐたのである。自分は、この女のした事が悪いとは思はない。しなければ、饑死をするので、仕方がなくする事だからである。だから、又今、自分のしてゐた事も、悪い事とは思はない。これもやはりしなければ、饑死をするので、仕方がなくする事だからである。さうして、その仕方がない事をよく知つてゐたこの女は、自分のする事を許してくれるのにちがひないと思ふからである。――老婆は、大体こんな意味の事を云つた。
◇『〈新興文芸叢書第八編〉鼻』(大正7年7月)所収本文
老婆は、片手に、まだ死骸の頭から奪つた長い抜け毛を持つたなり、蟇のつぶやくやうな声で、口ごもりながら、こんな事を云つた。
「成程な、死人の髪の毛を抜くと云ふ事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。ぢやが、ここにいる死人どもは、皆、その位な事を、されてもいゝ人間ばかりだぞよ。現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりづゝに切つて干したのを、干魚だと云うて、太刀帯の陣へ売りに往んだわ。疫病にかゝつて死ななんだら、今でも売りに往んでゐた事であろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料に買つてゐたさうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うてゐぬ。せねば、饑死をするのぢやて、仕方がなくした事であろ。されば、今又、わしのしてゐた事も悪い事とは思はぬよ。これとてもやはりせねば、饑死をするぢやて、仕方がなくする事ぢやわいの。ぢやて、その仕方がない事を、よく知つてゐたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」
老婆は、大体こんな意味の事を云つた。
引用した三つの本文の中で、『〈新興文芸叢書第八編〉鼻』において改変された最後の本文は、現在ほとんどのテキストが採用しているのだが、その文章には、幾つかの問題がある。
「現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりづゝに切つて干したのを、干魚だと云うて、太刀帯の陣へ売りに往んだわ。疫病にかゝつて死ななんだら、今でも売りに往んでゐた事であろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料に買つてゐたさうな。」とある部分は、最後の二文を入れ替え、「それもよ、」を削って、「現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりづゝに切つて干したのを、干魚だと云うて、太刀帯の陣へ売りに往んだわ。この女の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料に買つてゐたさうな。疫病にかゝつて死ななんだら、今でも売りに往んでゐた事であろ。」という形にする方がよいと思われるのだが、それはいちおう許容範囲にあるものとしてそのままにするにしても、上記の文章には、前の文章との間に不整合を生じさせている不自然な表現がある。
すなわち、現在多くの芥川龍之介全集の「羅生門」の本文を整定する際に底本として採用される『〈新興文芸叢書第八編〉鼻』の「老婆は、大体こんな意味の事を云つた。」という一文が、その前の老婆の言葉と整合していないことは、明らかであろう。
初出の『帝国文学』の「羅生門」と、それを一部改変した阿蘭陀書房発行の第一作品集『羅生門』の「羅生門」は、ともに、老婆の言葉は、「成程、死人の髪の毛を抜くと云ふ事は、悪い事かも知れぬ。しかし、こういう死人の多くは、皆 その位な事を、されてもいゝ人間ばかりである。現に、自分が今、髪を抜いた女などは、蛇を四寸ばかりづゝに切つて干したのを、干魚だと云つて、太刀帯の陣へ売りに行つた。(中略)だから、又今、自分のしてゐた事も、悪い事とは思はない。これもやはりしなければ、饑死をするので、仕方がなくする事だからである。さうして、その仕方がない事をよく知つてゐたこの女は、自分のする事を許してくれるのにちがひないと思ふからである。」(『帝国文学』)、「成程、死人の髪の毛を抜くと云ふ事は、悪い事かも知れぬ。しかし、かう云ふ死人の多くは、皆 その位な事を、されてもいゝ人間ばかりである。現に、自分が今、髪を抜いた女などは、蛇を四寸ばかりづゝに切つて干したのを、干魚だと云つて、太刀帯の陣へ売りに行つた。(中略)自分は、この女のした事が悪いとは思はない。しなければ、饑死をするので、仕方がなくする事だからである。だから、又今、自分のしてゐた事も、悪い事とは思はない。これもやはりしなければ、饑死をするので、仕方がなくする事だからである。さうして、その仕方がない事をよく知つてゐたこの女は、自分のする事を許してくれるのにちがひないと思ふからである。」(『羅生門』)という、一種間接話法のような書き方になっている。両者ともに、その後に「――老婆は、大体こんな意味の事を云つた。」の一文が続くのは、そのことを示していよう。
ところが、「成程な、死人の髪の毛を抜くと云ふ事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。ぢやが、ここにいる死人どもは、皆、その位な事を、されてもいゝ人間ばかりだぞよ。(中略)ぢやて、その仕方がない事を、よく知つてゐたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」という直接話法のかたちに改変された『〈新興文芸叢書第八編〉鼻』所収本文でも、間接話法で老婆の言葉のおよその内容を示した書き方をした『帝国文学』『羅生門』所収の本文で必要だった「老婆は、大体こんな意味の事を云つた。」が、削られることなく残ってしまっている。それによって、「羅生門」の本文に不整合が生じていることは明らかであろう。