十七世紀の東アジア文化交流―黄檗宗を中心に―

徐興慶、劉序楓 編

本書探討17世紀以降,德川社會的宗教發展,以及日本政治、社會、經濟乃至語言等各種面向的複雜性,同時對東傳日本的黃檗文化在東亞文化交流的思想體系給予歷史定位。研究課題包括:(1)近世日本「華僑」社會的形成與變遷;(2)17世紀黃檗文化的傳播及其人物、思想交流;(3)唐通事、中文(唐話)的學習和長崎奉行的相關研究;(4)黃檗宗的書法、繪畫、雕刻、藝術等日中文化交流研究;(5)「越境」與獨立性易的思想變遷等,從各領域專家的視角,深化相關的研究成果。

本書は、17世紀以降、徳川社会の宗教の発展および政治、社会、経済ないし言語などのあらゆる面の複雑性を検討するとともに、日本で発展した黄檗文化が東アジア文化交流の思想体系において、歴史的に如何に位置づけられるべきかという研究課題を取り上げる。とりわけ、(1)近世日本における「華僑」社会の形成と変遷、(2)17世紀の黄檗文化の伝播および人物、思想交流に関する議論、(3)唐通事、中国語(唐話)の学習、長崎奉行に関する研究、(4)黄檗宗に関する書道、絵画、彫刻、芸術など日中文化交流の研究、(5)独立性易の「越境」による思想変遷の研究、それぞれの分野の専門家の視点から深化した研究成果である。

【編者簡介】
 
徐 興慶(ジョ コウケイ)
 
1983年東吳大學東方語文學系畢業。九州大學文學碩士、文學博士(1992)、關西大學文化交渉學博士(2012)。曾任中國文化大學日本語文系主任暨日本研究所所長、台灣大學日本語文系主任暨日本語文研究所所長、國際日本文化研究中心外國人研究員、京都大學人文科學研究所客座教授、關西大學亞洲文化交流研究中心外國人研究員、中國東北師範大學歴史文化學院客座教授、北京清華大學人文科學院客座教授、早稻田大學國際関係研究所招聘研究員;現任中國文化大學日本語文系教授暨外國語文學院院長,研究專長為中日文化交流史、近代中日思想交流史。主要著作為《近代中日思想交流史の研究》(京都:朋友學術叢書,2004年)、《朱舜水與東亞文化傳播的世界』(台北:臺大出版中心,2008年)、《東アジアの覚醒―近代日中知識人の自他認識―》(東京:研文出版,2014年),以及《天閒老人 獨立性易全集》上下兩冊(台北:臺大出版中心,2015年)等。
 
台湾東呉大学東方語文学系卒業(1983)。九州大学大学院文学博士(1992)。関西大学文化交涉学博士(2012)。
経歴:台湾・中国文化大学日本語文系主任․日本研究所所長、台湾大学日本語文系主任、日本語文研究所所長、国際日本文化研究センター外国人研究員、京都大学人文科学研究所客座教授、関西大学アジア文化研究センター外国人研究員、中国東北師範大学歴史文化学院客座教授、北京清華大学人文科学院客座教授、早稲田大学国際関係研究所招聘研究員を経て、現在、台湾・中国文化大学日本語文系教授兼外国語文学院院長。専門は近世日中文化交流史、近現代日中思想交流史。主要単著に、『近代中日思想交流史の研究』(京都:朋友書店、2004年)、『朱舜水與東亞文化傳播的世界』(台北:台大出版センター、2008年)。『東アジアの覚醒―近代日中知識人の自他認識』(東京:研文出版、2014年)、『天閒老人 獨立性易全集』上下兩冊(台北:台大出版センター、2015年)などがある。
 
 
劉 序楓(リュウ ジョウフウ)
 
東吳大學東方語文學系畢業,九州大學文學研究科東洋史學文學博士。曾任中央研究院人文社會科學研究中心副研究員、中央研究院近代史研究所合聘副研究員;現為中央研究院人文社會科學研究中心研究員,研究領域為東亞海域史、近世中日貿易史。主要著作為〈清代的中日貿易與唐通事〉收入《第四屆國際漢學會議論文集:跨越海洋的交換》(台北:中央研究院,2013年)、〈清代における日本人の江南見聞―薩摩船の漂流記録『清國漂流圖』を中心として〉收入《川勝守‧賢亮博士古稀紀念:東方學論集》(東京:汲古書院,2013年)、〈清代中期輸日商品的市場、流通與訊息傳遞:以商品的「商標」與「廣告」為線索〉收入《轉接與跨界――東亞文化意象之傳佈》(台北:允晨文化,2015年)。
 
台湾東呉大学東方語文学系卒業。九州大学文学研究科東洋史学專攻文学博士。
経歴:台湾中央研究院人文社会科学研究センター副研究員、同中央研究院近代史研究所合聘副研究員を経て、現在、台湾中央研究院人文社会科学研究センター研究員。専門は近世日中貿易交流史。主要著作に、「清代的中日貿易與唐通事」、『第四屆國際漢學會議論文集:跨越海洋的交換』(台北:中央研究院、2013年)、「清代における日本人の江南見聞―薩摩船の漂流記録『清國漂流圖』を中心として」、『川勝守‧賢亮博士古稀紀念:東方學論集』(東京:汲古書院、2013年)、「清代中期輸日商品的市場、流通與訊息傳遞:以商品的「商標」與「廣告」為線索」、『轉接與跨界――東亞文化意象之傳佈』(台北:允晨文化、2015年)などがある。
 
序文(抜粋)
 
徐興慶(台湾・中国文化大学日本語文系教授兼外国語文学院院長)
 
中華文化の日本伝来においては、室町時代の博多、山口、堺など、16世紀末の堺、博多、平戸などに次ぎ、徳川幕府の鎖国以降は、九州の長崎が外来文化を受け入れる窓口となった。17世紀の日中文化交流の歴史を振りかえってみると、二つの特殊な背景がみられる。一つは中国の明清交替期の戦乱の際、一部の中国文人が満清の支配に服することを嫌い、次から次へと海をさまよい日本へ避難したことである。これら棄国の遺民は、多くは姓名を隠し、政治を捨て仏教界に入り、また朱舜水(1600-82)のような儒者が少数ながらも来日し、各地に広まっていった。明清交替期において、長崎に渡航した中国の僧侶、学者、文化人などは、少なくとも五十数人を数える。これらの文化人の中では黄檗僧が最も多くを占めており、一人一人が悲愴な歴史を背負うことになった。また一つは、徳川幕府が儒学を広めようとし、仏教を重視しつつ、明清の中華思想や学問を取り入れたことにより、徳川社会がまるで「域外の漢学」の大本営となったことである。この二つの時代背景は日中文化交流の特殊性を形成し、かつ東アジア文明を発展させる原動力ともなった。
 
17世紀頃、長崎にもたらされた明末清初の文化は、思想、宗教、文学、言語、美術、科学技術など、その分野は多岐にわたっている。その中で、明末の仏教革新運動の代表的高僧雲棲祩宏(1535-1615、蓮池大師)が著した『竹窓随筆』『自知録』は1653年ごろ日本に渡航した中国の僧侶が持参したものと思われる。『竹窓随筆』『自知録』は明末清初の仏教革新に大きな歴史的意義を持つだけでなく、日本の仏教にも、また徳川時代の庶民教育思想にも大きな影響を与えたと考えられる。
 
また、1654年に中国の福建から来日し、長崎の興福寺、崇福寺に明禅の新風をもたらした高僧隠元隆琦(1592-1673)による黄檗派は、のちに京都宇治の万福寺を本山とする臨済宗の一派として発展し、日本仏教の「十三宗」の一つに加えられた。黄檗文化は近世日本文化の発展に大きな影響を及ぼしており、その存在は無視できない。
 
本書は、2015年10月2日・3日、台湾大学日本研究センターにて「黄檗宗―十七世紀の東アジア文化交流」と題した国際シンポジウムで発表された報告を、それぞれの課題ごとに加筆、修正したものである。
 
まずは、この国際シンポジウム開催の意図やその意義、目的について説明したい。徳川時代後期、檀家制度および寺社請制度の実施により、仏教は完全に形式化され寺院の僧侶は怠慢となり、一般社会とともに発展することができず停滞していった。そのため、徳川時代における宗教や思想領域の研究をめぐって、黄檗文化が日本の仏教や思想界へ与えた影響を考察することを目的としている。黄檗文化は17世紀初期に日本に伝わってから今日に至るまで、多くの学問(学派)の思想体系の形成と深く関わっている。
 
本書は、徳川社会の宗教の発展および政治、社会、経済ないし言語などのあらゆる面の複雑性を探究するとともに、17世紀以降、日本で発展した黄檗文化が東アジア文化交流の思想体系において、歴史的に如何に位置づけられるべきかを、それぞれの分野の専門家の研究視点から深化させようと試みている。また隠元禅師の書記として黄檗派と深いかかわりのある独立性易(1596-1672)の生誕420周年、渡日360周年を記念し、彼の明朝からの異地遺民としての、国境を越えた日本での文化伝播の全貌を明らかにしようとしている。とりわけ、独立性易は想像よりもはるかに多くの貴重な史料を日本の国公立図書館や郷土資料館に残している。筆者が長年をかけて編輯に費やした新書『天閒老人 独立性易全集』(2015.7)の発表を通して、学界における独立性易の学芸研究の成果を公開し、さらなる研究を深化させ、東アジア文化交流の歴史に新たな一ページを加えることもまた、本書の目的である。具体的には、本書は下記の研究課題を取り上げている。
 
1. 近世日本における「華僑」社会の形成と変遷
2. 17世紀の長崎、小倉(福聚寺)、岩国、京都(宇治萬福寺、妙心寺)、大坂(普門寺、慶瑞寺)、江戸(麟祥院)、埼玉(平林寺)、水戸(彰考館)を舞台とした黄檗文化の伝播および人物、思想交流に関する議論
3. 唐通事、中国語(唐話)の学習、長崎奉行に関する研究
4. 黄檗宗に関する書道、絵画、彫刻、芸術など日中文化交流の研究
5. 独立性易の「越境」による思想変遷の研究
 
日本の禅宗、仏教を復興するため、徳川初期の元和年間(1615-23)から浄土宗、真宗、曹洞宗、真言宗、日蓮宗、天台宗、黄檗宗などの仏寺が建てられた。寛永(1624-43)、正保(1644-47)年間に至るまで、日本の各宗の仏寺は二十箇所以上に増えた。各宗は、それぞれの経典をもって体系化されたのである。中世から日本の宗教の発展は政治と関わるだけではなく、社会、経済の問題とも絡みあい、切っても切れない状態となり、その思想体系はかなり複雑と思われる。元和(1615-23)から寛永(1624-43)にかけて、長崎に居住する中国人らは、その出身地別に、興福寺、福済寺、崇福寺の三ヶ寺(Toutera)を建てた。それは、先祖の供養と子孫の繁栄を祈るほか、キリシタンではないことを証明することも一つの目的であった。彼らは貿易の利益を図るだけではなく、学徳兼備の優れた中国の僧侶をも続々と日本へ招聘した。
 
このような時代背景のもと、隠元隆琦は1654年に弟子二十余名を伴い長崎に渡来し、興福寺および崇福寺の住持となったが、のちに妙心寺の龍渓性潜6の招きにより大坂高槻の普門寺に入山した。さらに1661年には、京都宇治の広大な敷地を幕府より賜って黄檗山萬福寺を建て、住持に就任した。黄檗文化の日本社会への普及に大きな役割を果たしている。
 
本書に収録した論文は、いずれも国際会議の主題に沿って文化交流を視野に入れ、徳川時代の政治、経済、美術及び禅門の法式、中国語学、詩文、医学をめぐって、黄檗文化の普及に関する諸問題を検討した。特に「越境人」による黄檗宗の伝統と価値のある文化が徳川時代に如何に反映されたか、その意義を論じるものである。言ってみれば、各論文はそれぞれの執筆の動機や意図が一様ではなく、研究領域も多岐にわたっているが、黄檗文化の伝来をめぐって、一国を超えた「越境」と「融合」ないし「転換」した文化交流の相互影響に注目する視点を共有しており、そしてその視点を東アジアという空間にまで広げ、文明発展の共有資産を視野に入れたのである。
 

序文╱十七世紀東アジアの「越境人」における文化交流―「伝化」と「融合」―╱徐興慶
第一章 近世日本における「華僑」社会の形成と変遷╱劉序楓
第二章 禅門の法式‧法具における黄檗禅の影響╱野口善敬
第三章 隠元禅師と日中雅交―幻寄山房の人々―╱若木太一
第四章 「儒、釈、道、医」を通じた日中文化交流―戴笠から独立性易へという流転の人生―╱徐興慶
第五章 独立―安東省菴と朱舜水をつないだ黄檗僧╱田渕義樹
第六章 岩国と独立╱松岡智訓
第七章 唐通事の語る長崎唐三寺―クレオール文学の担い手としての唐通事―╱木津祐子
第八章 唐通事の白話文―日本語作品の翻訳を中心に―╱奥村佳代子
第九章 黄檗宗の肖像画と中国民間肖像画╱錦織亮介
あとがき╱劉序楓

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