Modern Japanese Sinology

Liao, Chin-ping, Takagi, Satomi (eds.)

  • PublishedSeptember, 2018
  • Binding精裝 / 21*15 / 276pages / 單色(黑) / 日文
  • Publisher國立臺灣大學出版中心
  • SeriesJapanese Studies Series 28
  • ISBN978-986-350-277-7
  • GPN1010700443
  • Price NT$690
  • Paper Books San Min Books / wunan / books.com.tw / National Books / iRead / eslite / TAAZE /

近代以降,日本知識體系或世界觀的轉換過程中,日本傳統的漢學以何種方式被塑造並改變其面貌?透過回應前述提問,本書旨在說明,懷有此問題意識者,不應僅限於日本文化圈、甚至單一文化圈的人,以求從多元角度加以檢視與反思此跨文化研究之論述。本書論文的執筆者,多以身為日本文化圈之外的看視者,探究近代日本漢學等相關議題。他們從其自身文化的觀點出發,一方面展露出此種立場乃奠基於自我與他者之間的相對性,另一方面亦企圖對以往的近代日本漢學研究提出討論與展望,藉此向讀者揭示「跨文化視域」(cross-cultural perspective)中,東、西雙方彼此的觀察態度及其思考方式。

本書のテーマ「近代日本の中国学」が暗示するように、近代以降の日本における知的システムや世界観の転換に、伝統の中国学はいかに形作られ、変貌を遂げてきたのか、という問いは二十一世紀の現在において、改めてさまざまな角度から検討されなければならない。というのは、その問いを発するのは、もはや日本人、あるいは単一文化圏の人々に限るべきではないからだ。本書の論文執筆者のほとんどは、外部の他者として、異文化の立場から、自己と他者を相対化する意欲を示しながら、従来の近代日本の中国学研究に異を唱え、さらに現代学術の潮流とも言うべき“cross-cultural perspective”(異文化間の視点、間文化的視点)から生まれ出たものの見方や考え方を提供しようと試みた。

廖欽彬(リョウ キンヒン)
 
1975年出生於台灣雲林。日本筑波大學人文社會科學研究科哲學博士(思想專攻),曾任台灣國立中山大學哲學研究所助理教授,中央研究院中國文哲研究所博士後研究員,現為廣州中山大學哲學系副教授。近年主要論文:〈東亞脈絡下的實存哲學發展:日本哲學與洪耀勳之間〉(蔡振豐・林永強・張政遠編《東亞傳統與現代哲學中的自我與個人》,台灣大學出版中心,2015年);〈兩個世界史的哲學論述―京都學派與柄谷行人―〉(《現代哲學》2016年第3期)、〈井筒俊彦的意識哲學―以《意識與本質》為中心―〉(《世界哲學》2016年第3期)。另發表多篇和日本近代哲學有關的論文。
 
1975年台湾生まれ。筑波大学人文社会科学研究科哲学・思想専攻博士課程修了(文学博士)。台湾国立中山大学哲学研究所助理教授、中央研究院中国文哲研究所博士後研究を経て、現在、広州中山大学哲学系准教授。主な著作に「東アジアにおける実存哲学の展開―日本哲学と洪耀勳の間―」(『台湾東亜文明研究学刊》、第12巻第1期、2015年)、「二つの世界史の哲学的論述―京都学派と柄谷行人―」(『現代哲学』、2016年第3期)、「井筒俊彦の意識哲学―『意識と本質』を中心に―」(『世界哲学』、2016年第4期)。ほかに日本近代哲学についての論文多数。
 
 
高木智見(タカギ サトミ)
 
生於1955年。名古屋大學博士課程修畢。曾至南開大學、復旦大學留學,師事劉澤華教授、楊寬教授。現為山口大學人文學院院長。研究領域為中國先秦文化史。主要著書有《先秦の社会と思想》(創文社,2001)、中文版《先秦社会與思想》(上海古籍出版社,2011)、《孔子》(山川出版社,2013)、《内藤湖南》(筑摩書房,2016)等;譯有鄭振鐸《伝統中国の歴史人類学》(知泉書館,2005)、朱淵清《中国出土文献の世界》(創文社,2006)等。
 
1955年生。名古屋大学大学院博士課程修了。南開大学、復旦大学に留学し、劉澤華教授、楊寛教授に師事。現在、山口大学人文学部長。専門は中国先秦文化史。主な著書に、『先秦の社会と思想』(創文社、2001)、中文版『先秦社会與思想』(上海古籍出版社、2011)、『孔子』(山川出版社、2013)、『内藤湖南』(筑摩書房、2016)、訳書に、鄭振鐸『伝統中国の歴史人類学』(知泉書館、2005)、朱淵清『中国出土文献の世界』(創文社2006)などがある。
 
序章╱高木智見

第一章 近代日本美術史の起点と東洋史とヨーロッパ・インド学との関連―岡倉天心の『日本美術史』を中心に―╱林少陽
第二章 明治期漢文中国史書物の歴史叙述╱黄東蘭
第三章 内藤湖南の『周易』成立史研究╱呉偉明
第四章 孟子の思想と早期湖南╱高木智見
第五章 狩野直喜の君主政治観:儒教解釈と天皇崇拝―『御進講録』を中心に―╱胡珍子
第六章 本田成之の中国文化「巫」起源観╱林超純
第七章 青木正児の儒家批判・道家称賛論╱辜承堯
第八章 柳田国男と台湾―台湾巡礼から山人思想へ―╱張政遠
第九章 田辺元から見た易の存在論―「種の論理」との連関―╱廖欽彬
編集後記╱廖欽彬

人名索引
事項索引
編集者略歴
執筆者略歴
序章
 
高木智見(山口大学人文学部長)
 
2015年10月、香港中文大学比較日本学研究中心の呉偉明教授の呼びかけで、中国、台湾、日本から、さらに香港中文大を含め、総勢12名の研究者が集結した。目的は、「近代日本における中国学」を共通テーマとし、とくに「漢学から支那学への変容」に焦点をあてたシンポジュウムに参加するためである。一二名の報告内容をさらに区分すれば、「內藤湖南の支那学」、「漢学と支那学の間」、「支那学の種々相」、「近代日本人の中国認識」となる。
 
互いに初対面同士という関係も少なからずあり、開始直後こそ、それぞれ遠慮気味であったが、時間の経過とともに、参加者全員が腹蔵無く意見を述べ、率直に応答することとなっていた。なおかつ二日間、共に食事をとり、学内見学をするうちにも、結局は議論をしてしまっていた。会議終了後、おそらく全員が大きな充足感を得たと思われ、この意味で、大成功のシンポジュウムであった。
 
そうした雰囲気のもと、議論終了直後の昼食会で、徐興慶教授が論文集を刊行すべきであると提起され、直ちに手際よく、書名や編集の役割分担まで決めていかれ、全員が賛同するところとなった。その結果、最もエネルギッシュな若手の俊秀、廖欽彬氏と唯一の日本人で最も歳をとっている私が、編者の大役を仰せつかることになった。実際の編輯業務はすべて廖氏が周到かつ丹念に進められ、私は、名ばかり編者よろしく、廖氏の命を受け、この序文を恐る恐る書くことだけを分担することとなった。
 
12名の参加者のうち、残念なことに、3名の方々が諸般の事情によって、論文の提出を見送られた。そこで、それらの先生方のお名前とシンポジュウムにおける発表テーマを掲げておきたい。
 
徐興慶(台湾大学)「和辻哲郎的伝統與近代思想的変化」
劉岳兵(南開大学)「儒學與日本近代思想續論:以西晉一郎的中國儒學論為中心」
陳瑋芬(中央研究院)「東京大學「漢學」科系之變遷與近代日本的學術轉型」
 
残りの参加者9名が、シンポジュウムでの報告と議論を踏まえて提出した論文を集めたのが本書にほかならない。以下、各文章の収録順に、それぞれの概略を記して編者の責めをふさぐこととしたい。
 
まず東京大学の林少陽「近代日本美術史の起点と東洋史とヨーロッパ・インド学との関連」は、岡倉天心『日本美術史』の記載内容を分析して、その師フェノロサをはじめとするヨーロッパの東洋学、とりわけインド学の直接的な影響が大きいことを明らかにし、それは明治日本の近代的な学術の出発点における一面であるとする。さらに、インド学導入当初における積極的受容が、その後の学問内的ならびに外的な状況の変化により、しだいに批判的な、さらには抵抗的なそれに変質していく過程を辿ったうえで、明治日本におけるインド学に対する重視は、まさに「方法としてのインド学」とも言うべく、伝統的な中国中心的文明観ならびに当時ヨーロッパ中心文明観を相対化しつつ、新たなナショナルなアイデンティティを形成させる役割を果たした、とする。
 
次に愛知県立大学の黃東蘭「明治期漢文中国史書物の歴史叙述」は、明治初年から日清戦争の頃までに編まれた13種の漢文中国史を対象として分析し、その多くは、当時広く浸透していた儒学知に対応するかのように、中国古来の修史の伝統を受け継ぎ、正史など中国の歴史書を「底本」とし、編年体や「春秋の筆法」、治乱興亡史観、天下的世界認識を受け継いでいたことを明らかにした。この事実は、それらの中で異なる内容を持つ佐藤楚材『清朝史略』や、那珂通世『支那通史』の新しさを逆照射し、同時にその限界をも照らし出しているという。さらに、こうした考察の結果に基づき、文明開化をはじめとする日本近代に関わる諸問題を考える際にも、東洋の伝統との連続面に配慮する必要性があると唱える。
 
香港中文大学の呉偉明「内藤湖南の『周易』成立史研究」は、内藤がその絶頂期において執筆した論文「易疑」を考察し、その学術的な意義を明らかにした。冷静客観的な立場から関連資料を博引傍証することによって創出された斬新な所説であり、特筆すべき見解として次の五点が指摘できるとする。すなわち、『周易』経文は戦国末から漢初の間に成立した、十翼は孔子の作ではない、十翼は経文の原意を失っている、戦国時代以前における『周易』本来の構造は、今日のそれとは根本的に異なっていた、『周易』は他の古文献と密接な関係を有する、などである。ついで、内藤の見解が、日本ならびに中国の研究に与えた影響を明らかにし、現在でこそ、易学研究の深化、出土文献史料の出現によ り、顧みられることは少ないが、当時においては極めて優秀な学術論文であったとする。
 
山口大学の高木智見「孟子の思想と早期湖南」は、早期湖南の激越で硬派的な側面の思想的な由来について、星亨刺殺事件に関する湖南の議論を手がかりとして考察した。湖南は、理想社会とは、豪傑が自らの犠牲的行為により民を感化することにより実現されると考えていたため、刺殺行為を全否定はできなかった。こうした豪傑観を含め、湖南は全体として孟子思想に強く規定されていた。その理由としては、父祖や政教社時代の諸先輩の直接的な影響のほか、歴史的・時代的な理由として、幕末維新期の人々にとって、儒家的理想国家像を明示している孟子こそが、処世の方針や新たな秩序規範を提供するという意味で最も依拠するにたる書物であったことを指摘できる。湖南の激越で硬派的な側面は、理想実現ための過激な実践を強調する孟子の影響であった、という。
 
関西大学の胡珍子「狩野直喜の君主政治観」は、実事求是の学風により中国古典の客観的な理解に到達していたとされる狩野についての通説に、真っ向から異を唱えている。すなわち、狩野の「君師同体」論、「忠孝一本」論などを再検討し、そこには儒学文献の文脈に背き、「忠君愛国」「天皇、国体至上」を鼓吹する日本近代天皇制を裏書きする側面があったという。
 
香港中文大学博士課程の林超純「本田成之の中国文化「巫」起源観」は、本田が狩野直喜や内藤湖南の関連研究を踏まえ、中国上古における「巫」文化、すなわちシャーマニズムの普遍的存在を指摘したことを明らかにし、いわゆる漢学から支那学への過渡期に位置する研究であるとした。またその所説は、近年の余英時や李沢厚の見解とも符合し、先見性を有していたことを指摘する。
 
関西大学博士課程の辜承堯「青木正児の儒教批判・道教称賛論」は、五四運動の理解者としても知られる青木が、反儒教主義者である呉虞と同様、儒家を束縛の思想とみて批判するとともに、道家的自由を嗜好していたことを明らかにした。栄達を無視して真理探究に生涯を捧げた青木は、近代日本の中国研究において極めて異色の存在であったという。
 
香港中文大学の張政遠「柳田国男と台湾―台湾巡礼から山人思想へ―」は、いわゆる経世済民の学としての柳田の民俗学に、台湾への訪問によって、その実態を知った隘勇線(台湾における原住民と漢民族との間の境界線)に関する認識が大きな位置を占めていることを明らかにした。すなわち柳田は、台湾同様、日本においても常民の農耕文化の外にある他者、すなわち遊動性を特徴とする山人の存在を発見したのである。張氏によれば、柳田の山人思想は、人類文化の未来を切り開く大きなポテンシャルに富み、「我者」の内部に「他者」が存在するという考え方を深化させる上でも、新たな思索材料を提供しているという。
 
中山大学の廖欽彬「田辺元から見た易の存在論」は、田辺独自の哲学「種の論理」の形成過程で、儒教的な存在論が果たした役割を具体的に指摘している。田辺の議論は、本質的に西洋の存在論の延長線上に位置づけられるべきものではあるが、その核心に位置する「絶対的媒介(互いに対立しつつ媒介しあう関係)の論理」に着眼すれば、弁証法的であるという点において、易の存在論とかなりの程度の親近性を有することを明らかにした。その前提として、田辺の易に関する議論の出発点である論文「儒教的存在論に就いて」を分析し、その多くを同僚・高瀬武次郎『易学講話』に負いながら、ギリシャ、ヘブライの存在論と比較し、易の存在論(陰陽二元合一論)に弁証法的構造が顕著に認められることを指摘した、と論じている。
 
本書に収められた九篇の論文に対しては、当然、異なる意見もありえよう。とりわけ学術研究とは何のために行うのか、その現実との関係はいかにあるべきかなどについては、9名の執筆者のなかですら、意見は大きく分かれる。この点はシンポジュウムにおける議論の中で、それぞれが互いに強く感じ取ったところである。しかし、その場で同時に確認しえたのは、研究者各自がそれぞれの課題に真摯に取り組み、自分なりに納得した回答を与えている、という事実である。読者の厳しい批判を請う所以である。